第282話 手術や抗がん剤を選んだことを後悔している方へ――治療したから苦しんだのか【東京・保谷駅前こころのクリニック】|保谷駅前こころのクリニック|西東京市「保谷駅」北口すぐの心療内科

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第282話 手術や抗がん剤を選んだことを後悔している方へ――治療したから苦しんだのか【東京・保谷駅前こころのクリニック】

第282話 手術や抗がん剤を選んだことを後悔している方へ――治療したから苦しんだのか【東京・保谷駅前こころのクリニック】|保谷駅前こころのクリニック|西東京市「保谷駅」北口すぐの心療内科

2026年5月03日

「治療しなければ、もっと穏やかに過ごせたのでしょうか」

そう話しながら、飼い主さんがスマートフォンを机の上に置きます。

画面には、手術前の写真。
こちらを見上げる顔は、まだ元気そうに見えます。

指を滑らせると、次は退院後の写真です。
少し痩せて、毛並みも乱れている。

「この手術、本当に受けさせる必要があったんでしょうか」

もう一枚。

「抗がん剤のあと、食べなくなりました」
「点滴の日は、病院に着く前から震えていました」
「検査ばかり増えて、最後は病院が嫌いになってしまって」

そこで、画面が伏せられます。

「治そうとしたことが、かえってこの子を苦しませたのではないかと思うんです」

動物を亡くしたあと、治療を選んだ自分を責め続ける方がいます。

手術を受けさせた。
抗がん剤を続けた。
何度も血液検査をした。
食べられなくなっても、点滴に通った。

助けたくて選んだはずの治療が、亡くなったあとには「苦しみを増やしたもの」に見えてしまう。

この後悔は、治療したことだけから生まれるのではありません。

治療の意味を、最後の結果だけで見直してしまうところから生まれます。

治療前の写真は、実際より元気に見える

亡くなったあとに写真を見返すと、治療前の姿がとても元気に見えることがあります。

しっかり立っている。
こちらを見ている。
少しだけれど、ごはんも食べていた。

「この状態から、私が手術を受けさせた」
「この顔をしていたのに、つらい治療を始めてしまった」

そう思えてきます。

しかし、写真には写らないものがあります。

そのとき体内で進んでいた病気。
数日前から落ちていた食欲。
夜中に変わっていた呼吸。
検査で見つかった数値や画像の異常。
治療を勧められるに至った経過。

写真に残るのは、その日の、ほんの一瞬です。

元気そうに見える一枚と、治療が必要だったという判断は、矛盾しません。

亡くなったあとに見返す写真は、どうしても「治療前」と「治療後」に分かれます。
すると、その境目にある治療が、すべてを変えた原因のように見えてしまうのです。

治療のあとに悪化すると、治療が原因に見える

手術後に体力が戻らなかった。
抗がん剤を始めてから食欲が落ちた。
点滴に通っていたのに、少しずつ弱っていった。

時間の順番だけを見れば、

治療した。
そのあと悪くなった。
そして亡くなった。

となります。

だから頭の中では、いつの間にか、

「治療したから悪くなった」
「治療しなければ、亡くならなかった」

という一つの物語が出来上がります。

もちろん、手術や抗がん剤、麻酔、検査には負担があります。
副作用や合併症が起こることもあります。治療を受ければ、必ず状態が良くなるわけでもありません。

一方で、その時期には病気そのものも進んでいます。

治療後に起きた悪化のどこまでが治療の負担で、どこからが病気の進行だったのか。
あとから完全に切り分けられない場合もあります。

だからこそ、覚えておいてほしい言葉があります。

治療のあとに亡くなったことと、治療のために亡くなったことは、同じではありません。

時間的に前後していることと、原因であることは別です。

けれど、大切な家族を失った直後の心は、その二つを簡単には分けられません。

「手術を受けさせなければ」という後悔

手術には、はっきりとした日付があります。

入院した日。
同意書に署名した日。
手術室へ見送った時刻。

飼い主が決断した瞬間が残るため、後悔の矛先も自分へ向きやすくなります。

「あの日、私が同意しなければ」
「家へ連れて帰っていれば」
「手術を断っていれば」

しかし、手術を受けなかった未来は確認できません。

手術をしなければ、穏やかに長く過ごせたかもしれない。
反対に、病気が急に進み、もっと早く苦痛が強くなったかもしれない。

今、想像の中にある「手術をしなかったその子」には、麻酔も傷の痛みもありません。

けれど、病気の進行まで消えていることがあります。

選ばなかった未来は、現実を経験していない分だけ、静かで、穏やかで、正しかったように見えます。

抗がん剤や点滴を、どこまで続けるべきだったのか

最初の治療では少し食欲が落ちた。
次の治療では、回復までに何日もかかった。
それでも検査値が改善したり、一度は散歩へ行けたりした。

だから、もう一度続けた。

ところが、その次は思うように戻らなかった。

「前回でやめていれば」
「最後の点滴は必要なかった」
「つらい日を増やしただけだった」

治療を始める判断だけでなく、やめる判断にも迷いがあります。

前回効いた治療を、今回は中止する。
まだ少し反応があるのに、「ここまで」と決める。

それもまた、簡単なことではありません。

昨日まで回復の可能性を信じていた人が、今日から急に治療を諦められるわけではないのです。

続けたのは、苦しませたかったからではありません。

もう一度、食べられる日に戻ってほしかった。
もう一度、自分の足で歩いてほしかった。
前回のように、少し持ち直してくれることを願った。

結果を知った今の自分が、結果を知らなかったあの日の自分を裁く。
それは、あの日の迷いをあまりにも簡単に扱うことになります。

検査を増やしたことへの自責

「最後まで検査ばかりしてしまった」

そう悔やむ方もいます。

採血を嫌がった。
診察台の上で震えていた。
病院へ向かう車の中で鳴き続けた。

その姿を思い出せば、「もう検査などしなければよかった」と思うのは当然です。

ただ、検査は治療を増やすためだけに行うものではありません。

いま何が起きているのかを知る。
苦痛の原因を探す。
薬を減らせるか考える。
治療を続けるか、やめるかを判断する。
家で過ごすために、必要な準備をする。

積極的な治療を終えるためにも、情報が必要なことがあります。

検査を受けさせたこと自体が、愛情の不足を示すわけではありません。
分からないまま苦しませたくないと思い、確かめようとしたのです。

治療の目的は「何日延ばしたか」だけではない

治療を振り返ると、

「結局、三か月しか生きられなかった」
「手術をしたのに、半年で亡くなった」

と、日数で評価したくなることがあります。

けれど、治療の目的は、寿命を延ばすことだけではありません。

痛みを軽くする。
呼吸を少し楽にする。
食べられる日を取り戻す。
自宅へ帰れる状態にする。
家族と過ごせる時間をつくる。

治療によって得られたものが、「長さ」ではなく「その子らしさ」であることもあります。

手術後、ほんの一度だけお気に入りの場所へ歩いていった。
薬が効いた日に、久しぶりにごはんを欲しがった。
点滴のあと、家族の隣で静かに眠れた。

その時間は、治療成績の数字には残りません。

しかし、なかったことにもできません。

長生きした日数と、その子らしく過ごせた時間は、同じ物差しでは測れません。

治療を選んだ自分を、最後の結果だけで裁かない

治療を始めた日の自分は、結末を知りませんでした。

説明を聞いた。
迷った。
家族と話した。
その子の顔を見た。
助かる可能性があるなら、残したいと思った。

そこで選んだのが治療でした。

亡くなったという結果から逆算すれば、すべての治療が無駄だったように見えることがあります。

けれど、治療の価値は「亡くならなかったかどうか」だけでは決まりません。

病気の進行を遅らせた時間。
苦痛を減らせた時間。
家へ帰れた時間。
家族が、その子のためにできることを探し続けた時間。

そこまで含めて、治療です。

治療を選んだあなたは、命を実験したのではありません。

失いたくない命を前にして、何もしないことを選べなかった。
まだ残っている可能性を、簡単には閉じられなかった。

その判断が、結果として望んだ結末に届かなかったとしても、あの日の愛情まで間違いになるわけではありません。

最後の結果だけで、治療の全時間を採点しないでください。

あなたが治療を選んだのは、苦しませるためではない。

もう一度、その子の時間を、その子へ返したかったからです。

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