第38話 ワンさんをモフモフしていた指が、しこりの上で止まった夜――犬のしこりは腫瘍なのか|保谷駅前こころのクリニック|西東京市「保谷駅」北口すぐの心療内科

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第38話 ワンさんをモフモフしていた指が、しこりの上で止まった夜――犬のしこりは腫瘍なのか

第38話 ワンさんをモフモフしていた指が、しこりの上で止まった夜――犬のしこりは腫瘍なのか|保谷駅前こころのクリニック|西東京市「保谷駅」北口すぐの心療内科

2025年12月01日

ソファに座ると、いつものようにワンさんが体を寄せてくる。
背中をなでる。
耳の後ろをかく。
胸からお腹へ、毛並みに沿って手を滑らせる。
そのときだった。
コリッ。
指先が、何かの上で止まる。
もう一度、同じ場所を触る。
やはり、ある。
「前からこんなの、あったっけ」
毛をかき分ける。
照明を近づける。
反対側も触ってみる。
そして、頭の中に、あまり考えたくない言葉が浮かぶ。
「これ、腫瘍じゃないか」
さっきまで、ただの穏やかな夜だった。
それなのに、指先に触れた数ミリの違和感ひとつで、部屋の空気まで変わってしまう。
けれど、少し待ってください。
犬の体に触れる「コリコリ」の正体は、腫瘍とは限りません。
診察台の上で、まず毛をかき分ける
動物病院へ来た飼い主さんが、心配そうに言います。
「先生、ここです」
示された場所に指を置く。
毛を分ける。
つまんでみる。
すると、皮膚ではなく、毛だけが持ち上がってくることがあります。
毛玉です。
長毛の犬や換毛期の犬では、絡まった毛が小さく固まり、触るとしこりのように感じられることがあります。
毛を左右に分けたとき、皮膚そのものが盛り上がっているのか。
それとも、毛だけの塊なのか。
ここを確かめると、正体が分かることがあります。
ただし、皮膚を巻き込んだ毛玉を無理にハサミで切るのは危険です。犬の皮膚は思った以上によく伸びるため、毛と一緒に皮膚まで切ってしまうことがあります。
「先生、反対側にもありました」
お腹の小さな出っ張りを腫瘍だと思い、受診される方もいます。
指で触ると、確かにポチッとしている。
しかし、反対側のほぼ同じ位置にも同じものがある。
乳首です。
犬の乳首は、メスだけではなくオスにもあります。左右に並んでいるため、反対側の同じ場所を触ると見つかることがあります。
とはいえ、「乳首の近くにできたしこり」は別です。
乳首そのものなのか。
乳首の下や横に、新しい塊ができているのか。
区別がつかない場合は、乳首だと決めつけないでください。
毛の間に、豆粒のようなものがついている
「急にしこりができました」
そう言われて見ると、丸いものが皮膚にぴったり張りついている。
よく観察すると、根元に小さな脚が見える。
マダニです。
血を吸ったマダニは膨らみ、灰色や茶色の小さな豆のように見えることがあります。血を吸う前と後では形がかなり変わるため、見慣れていなければ腫瘍と間違えても不思議ではありません。
ここで、指でつまんで引きちぎるのはやめてください。
マダニの一部が皮膚に残ったり、強く刺激してしまったりする可能性があります。感染症を媒介することもあるため、見つけたら動物病院へ相談してください。
子犬のお腹にある、やわらかい膨らみ
子犬を抱き上げたとき、お腹の真ん中にプクッとした膨らみが触れることがあります。
場所は、おへそのあたり。
押すと少し小さくなったり、体勢によって目立たなくなったりする。
これは、臍ヘルニア、いわゆる「でべそ」かもしれません。
脂肪などが出ているだけのこともありますが、穴の大きさや、中に何が出ているかによって対応は変わります。去勢・避妊手術の際に、同時に整復を検討することもあります。
「まだ子犬だから、そのうち消えるだろう」と放置せず、一度は獣医師に確認してもらうとよいでしょう。
膨らみが急に硬くなった。
赤紫色になった。
触ると痛がる。
吐いている。
元気がない。
そのような変化があれば、早めの受診が必要です。
オス犬の鼠径部にある、丸いもの
オス犬のお腹から内股にかけて、丸い塊が触れることがあります。
陰嚢を確認すると、精巣がひとつしかない。
あるいは、両方とも触れない。
その場合、鼠径部や腹腔内に精巣が残っている停留精巣(潜在精巣)の可能性があります。
鼠径部にある場合は、皮膚の下に小さなビー玉のような感触として見つかることがあります。
停留した精巣は、正常に陰嚢内へ下りた精巣よりも将来腫瘍化する危険性が高くなるため、一般には手術が検討されます。
単に「コリコリを取る」という話ではありません。精巣がどこにあるのか、反対側は正常なのかまで確認する必要があります。
そして、本当に乳腺腫瘍だったこともある
診察室で、飼い主さんがワンさんを抱えたまま言います。
「たぶん、前からあったと思うんです。でも、最近少し大きくなった気がして」
乳腺に沿って、指をゆっくり滑らせていく。
米粒ほどの硬いもの。
丸く動くもの。
皮膚の下に張りついたようなもの。
犬の乳腺腫瘍は、大きさも、硬さも、形もさまざまです。良性か悪性かを、触った感触だけで言い切ることはできません。
「小さいから大丈夫」
「痛がらないから、悪いものではない」
「ずっとあるから、もう気にしなくていい」
残念ながら、どれも判断の決め手にはなりません。
必要に応じて画像検査や細胞を調べる検査などを行い、しこりだけではなく、リンパ節や肺を含めた全身の状態を確認したうえで、治療方針を考えます。
私が獣医師として勤務していた頃、オスのスピッツのワンさんにできた乳腺の悪性腫瘍を診断し、手術したことがあります。
オス犬にも乳首があり、乳腺腫瘍ができることがあります。
頻度が低いことと、起こらないことは違う。
あのワンさんは、そのことを静かに、しかし強く教えてくれました。
しこりを見つけた日に、してほしいこと
まず、見つけた日を記録してください。
できれば定規を添えて写真を撮り、大きさが分かるようにしておきます。
そして、次の点を確認します。
・どこにあるか
・いつ気づいたか
・大きくなっているか
・硬いか、やわらかいか
・皮膚と一緒に動くか
・赤み、出血、ただれがないか
・触ると痛がるか
・同じようなものがほかにもないか
ただし、何度も強くつまんだり、押し潰そうとしたり、針を刺したりしてはいけません。
急に大きくなった。
出血している。
色が変わった。
触ると痛がる。
元気や食欲が落ちている。
その場合は、様子を見る期間を置かず、早めに動物病院へ相談してください。
モフモフは、いちばん優しい健康診断である
飼い主さんは、ときどき申し訳なさそうに言います。
「もっと早く気づいてあげればよかった」
けれど、病気の中には、毎日一緒に暮らしていても分からないものがあります。毛に覆われた小さなしこりなら、なおさらです。
だから、見つけた日に自分を責めなくていい。
見つけた指は、遅れた指ではありません。
そのワンさんの異変に、いちばん最初に届いた指です。
モフモフする時間は、ただのスキンシップではありません。
毛の手触りを覚える。
皮膚の温度を覚える。
昨日までなかったものに気づく。
毎日触れている飼い主さんだからこそ、分かる変化があります。
愛情は、検査機器を持っていません。
けれど、ときどき病気より先に、違和感へ触れます。
もし今夜、指先に小さなコリッを見つけたら。
ひとりで「腫瘍だ」と決めつけず、
反対に「きっと何でもない」と消してしまわず、
その違和感を、かかりつけの獣医師まで連れていってください。
そして、そのワンさんの背中をもう一度、いつものようになでてあげてください。
その手は、不安を見つけた手であると同時に、
そのワンさんを守ろうとした手でもあるのです。
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