第351話 ペットロスの悲しみが突然戻るとき|忘れたのではない。心が少し休んでいただけ【東京・保谷駅前こころのクリニック】|保谷駅前こころのクリニック|西東京市「保谷駅」北口すぐの心療内科

〒202-0004東京都西東京市下保谷4丁目14−20いなげや保谷駅前店2階

WEB問診・予約
保谷駅前こころのクリニックサブメインビジュアル

第351話 ペットロスの悲しみが突然戻るとき|忘れたのではない。心が少し休んでいただけ【東京・保谷駅前こころのクリニック】

第351話 ペットロスの悲しみが突然戻るとき|忘れたのではない。心が少し休んでいただけ【東京・保谷駅前こころのクリニック】|保谷駅前こころのクリニック|西東京市「保谷駅」北口すぐの心療内科

2026年5月23日

「昨日は、普通に笑えたんです」

そう話したあと、少し沈黙が続きます。

「でも今朝、スーパーで、あの子が好きだったものを見つけてしまって」

声が止まる。

「その場では我慢したんです。車に戻ってドアを閉めたら、急に駄目になりました」

そして、こう続きます。

「私、何も前に進めていなかったんでしょうか」

ペットロスの悲しみは、毎日少しずつ薄くなるとは限りません。

昨日より今日。
今日より明日。

そのように、きれいな右肩下がりにはならないのです。

泣かずに過ごせた翌日に、突然涙が止まらなくなる。
旅行中は穏やかだったのに、帰宅して玄関を開けた瞬間に崩れる。
何か月も経ってから、毛布に残っていた一本の毛を見つけて動けなくなる。

悲しみは、終わったふりをして戻ってくることがあります。

悲しみは、日付ではなく「合図」で立ち上がる

あの子を思い出す合図は、生活の中にいくつも残っています。

首輪の小さな音。
動物病院へ向かう道。
散歩をしていた時間。
ペット用品売り場。
似た後ろ姿。
季節の匂い。
冷蔵庫に貼った診察券。
スマートフォンが突然表示した「一年前の今日」。

こちらが準備していないときに、合図はやってきます。

頭では、買い物を続けなければと思っている。
手には、買い物かごを持っている。

それなのに心だけが、あの子のいた部屋へ連れ戻される。

これは、振り出しに戻ったということではありません。

心の中で、思い出につながる扉が急に開いただけです。

悲しみは戻ってきたのではありません。
ずっといた悲しみが、合図を聞いて立ち上がったのです。

笑えた日は、忘れていた日ではない

初めて笑った日。

食事をおいしいと思えた日。
テレビを見て、思わず声を出して笑った日。
出かけた先で「楽しい」と感じた日。

その直後に、罪悪感が湧くことがあります。

「あの子がいないのに、私は笑っている」
「もう楽しいと思えるなんて、薄情ではないか」

悲しみ続けることだけが、愛情の証明になってしまうと、心は休めなくなります。

けれど、笑った時間があったからといって、あの子を忘れたわけではありません。

心は、深い悲しみを一日中、同じ強さで抱え続けることができません。

ときどき手を緩めます。
少し外を見ます。
別のことを考えます。

それは裏切りではありません。

心が壊れないように、わずかに呼吸をしているのです。

「もう大丈夫だと思っていたのに」

何週間か泣かずに過ごしていた。

仕事にも行けている。
食事もできる。
人とも話せる。

自分でも、もう大丈夫なのかもしれないと思っていた。

それなのに、ある日突然、涙が出る。

そんなとき、「また元に戻ってしまった」と考えたくなります。

でも、前に進んだからこそ、初めて見える寂しさもあります。

あの子のいない春。
あの子のいない夏。
あの子のいない誕生日。
あの子のいない年末。

季節が変わるたびに、それまでとは違う形の不在に気づきます。

悲しみが長引いているのではなく、思い出の別の場所に触れたのかもしれません。

何か月経ったから泣いてはいけない、という期限はありません。

涙は、回復の失敗を知らせる警報ではないのです。

回復とは、思い出しても泣かなくなることではない

ペットロスからの回復という言葉は、ときどき「元の自分に戻ること」のように語られます。

しかし、あの子と暮らす前の自分にも、あの子を失う前の自分にも、完全に戻ることはできません。

一緒に暮らした時間が、本当にあったからです。

思い出して泣く日があっても、食事ができる。
寂しさを抱えたまま、仕事へ行ける。
あの子の話をして、泣いたあとに少し笑える。
「会いたい」と思いながら、今日の生活も続けられる。

悲しみを消すのではなく、悲しみを抱えたまま動ける範囲が少しずつ広がっていく。

回復とは、そういう変化なのだと思います。

忘れたから前へ進むのではありません。
覚えたまま歩ける日が、少しずつ増えていくのです。

波が来た日は、立ち向かわなくてよい

悲しみが強く戻った日には、無理に元気になろうとしなくてもかまいません。

「今日は、あの子につながる合図に触れた」

そう気づくだけでもよいのです。

泣いてしまったら、泣いた自分を急いで片づけなくてもよい。
予定を一つ減らしてもよい。
誰かに「あの子を思い出した」とだけ伝えてもよい。

説明しきれない日は、説明しなくてもかまいません。

波に勝つ必要はありません。

波が引くまで、足を取られない姿勢を取ればよいのです。

そして、波が引いたあとに笑える瞬間が来ても、拒まなくてよい。

泣く日も、笑う日も、どちらも、あの子を失ったあとのあなたです。

あの子を忘れずに生きることと、自分の人生を再び生き始めることは、両立します。

悲しみだけが、愛情の残り方ではありません。

あの子から受け取ったものを持って、今日の続きを生きる。

それもまた、別れたあとの愛し方です。

TOP