2025年12月24日
終末期の場面で、家族がいちばん苦しくなる言葉があります。
「延命治療、どうしますか?」
同意を求められたその瞬間、頭の中が真っ白になる。
涙が出るのに、考えなければいけない。
そして後になって、ふとした夜に思うことがある。
「あれで、よかったのだろうか」と。
本人の意思が、いちばん強い道しるべ
もし本人が、元気なときに言葉を残していたなら。
「苦しい治療はしたくない」
「最後は自然に任せたい」
「できる範囲で、痛みだけは取ってほしい」
その一言は、家族が迷いの中で立ち尽くさないための、灯りとなります。
逆に、本人の意思がはっきりしないとき、家族は正解探しを始めてしまいます。
でも終末期の意思決定は、数学の答えのように一つに決まるものではありません。
「自然な経過にまかせる」という言葉の、やさしさと怖さ
「自然に任せる」という選択は、何もしないことではありません。
たとえ、心肺停止時に、心臓マッサージや昇圧剤を使用しないとしても、
呼吸が苦しければ酸素を吸入して和らげる。痛みがあれば取る。吐き気があれば抑える。
毎日バイタルサインを確認しつつ、誤嚥性肺炎程度なら点滴治療をする。血液検査やCTも撮ってみたりする。
さらに、眠れるように整えたり、安心や安全を確保する人がそばにいる。
それも立派な医療であり、ケアです。
ただ、「自然に」という言葉は、家族のこころに別の痛みを生むことがあります。
「自分が見捨てたように感じる」
「やれることをやらなかったのでは」
そんなふうに、自分を責めてしまうのです。
無駄な延命治療とは何か
「無駄な延命治療」という言葉も強くて、家族に対して刺さります。
けれど現実には、境界線がはっきりしないことが多い。
たとえば、胃瘻をつくることの是非についてなど。
こうしたとき、治療は「命を伸ばす」よりも、「苦しみを増やす」方向にも傾くことがあります。
だからこそ、終末期では何をするか以上に、「何のためにするか」が大切になります。
家族の意思は、「本人の代わり」ではなく「本人を守るため」
家族が決めるのは、本人の人生を勝手に決めることではありません。
本人の価値観を、できる限り丁寧に評価し、尊重することです。
難しく考えなくていい。
もし迷ったら、医療者にこう聞いても構いません。
「この治療で、本人の苦しさはどれくらい減るのですか?」
「増えるとしたら、どの程度ですか?」
「回復が見込める変化が出てくるのは、日単位でなのか、週単位でなのか」
「治療をしない場合、どんな経過が予想され、こころの準備をしておいた方が良いのか?」
「よかったのだろうか」と思うのは、愛情の証明
終末期の選択は、どれを選んでも、痛みが残りやすい。
延命をすれば「苦しませたかもしれない」と思い、
一方、延命をしなければ「やれることをやらなかったかもしれない」と思う。
しなかったことに対する後悔の気持ちが大きくなる。
そのこころの揺れは、あなたの弱さではなく、大切な人を大切にした証拠です。
答えが出ない日が来てしまったら、思い出してほしいのです。
あなたは、最善を探し続けた。
その時点で持てる情報と、あなたの愛情で、選択肢を選び切った。
だから、その選択は、軽いものではありません。
最後に
終末期の意思決定は、家族だけで背負うには重すぎます。
もし可能なら、早い段階で「本人の言葉」を少しずつ聞いておく。
そして医療者と一緒に、「苦痛を減らす」「穏やかに過ごす」ための道しるべを作っておく。
延命するかしないかだけが論点ではありません。
その人らしさを守るために、何を優先するか。
そこに、あなたのこころが宿ります。
保谷駅前こころのクリニック
