2026年1月23日
火葬の日にも、涙が出なかった。
家族は泣いている。
自分だけが手続きを確認し、時間を気にしている。
帰宅してからも、普通に食事をした。
「本当に大切だったなら、もっと泣くはずではないか」
今度は、泣けない自分を責め始めます。
泣くことと、愛していたことは同じ指標ではない
涙が止まらない人がいます。
反対に、まったく泣けない人もいます。
人前では泣けず、一人になったときだけ崩れる人。
数か月後、関係のない場面で急に涙が出る人もいます。
涙は、悲しみの表現の一つです。
愛情を測定する量ではありません。
最後まで役割を担っていた人は、止まりにくい
治療を決めた。
家族へ説明した。
火葬を手配した。
費用を支払った。
最後まで「自分がしっかりしなければ」と動いていた方は、亡くなったあとも役割から降りられないことがあります。
泣けば崩れてしまう気がする。
だから、心が一時的に感情を遠ざける。
それは冷たさではなく、その時期を乗り切るための反応かもしれません。
泣けないのは、悲しみが浅いからとは限りません。涙にしたら立っていられないため、心がまだ形を変えずに持っていることがあります。
写真を見て泣けなくてもよい。
名前を呼べなくてもよい。
悲しみ方に、家族共通の形式はありません。
いつか涙が出ても、出なくても、その子と暮らした事実は変わりません。
