2026年5月31日
ペットを亡くして仕事に行けない、玄関で動けない、職場で涙が出る方へ。世話とともに失われる朝の仕組み、出勤できても働けているとは限らない理由、仕事を休むかどうかの考え方を、獣医師でもある精神科医が解説します。
朝7時。目は覚めています。
仕事へ行かなければならないことも、そろそろ支度をしなければ遅刻することもわかっています。
それでも、布団から起き上がれません。
以前なら、朝起きると最初にごはんを用意していました。散歩へ行き、薬を飲ませ、体調を確認していました。
今は、何もする必要がありません。
何とか着替えて鞄を持ち、玄関まで行く。そこで、いつも見送ってくれた場所が目に入ります。
足が止まります。
「ペットのことで、仕事を休んでもよいのだろうか」
欠勤の連絡を入れることにも罪悪感があります。ただ、電車に乗り、職場で普段どおりに振る舞える気もしません。
携帯電話を手に持ったまま、始業時刻が近づいてきます。
ペットロスは、家の中だけで終わるものではありません。一緒に暮らしていた時間を失うと、それまで当たり前だった朝の流れまで変わります。
朝に失われるのは、世話だけではない
犬や猫の世話は、時間も手間もかかります。
朝早く起きなければならない。雨の日にも散歩へ行く。食事や排泄を確認する。病気になれば薬を飲ませる。
それがなくなれば、時間に余裕ができるはずです。
ところが実際には、時間が空いたのに動けなくなる方がいます。
これは不思議なことではありません。
毎朝の世話は、負担であると同時に、一日を始めるきっかけにもなっていたからです。
起きる。カーテンを開ける。水を替える。声をかける。外へ出る。
そうした一連の動作の中で、身体は少しずつ朝になっていました。
ペットが亡くなると、世話の負担だけではなく、自分を起こしていた生活の仕組みまでなくなることがあります。
時間は空いたのに、朝が始まらない。
ペットロスで仕事に行けなくなる背景には、悲しみだけでなく、こうした生活の変化もあります。
職場には着いたけれど、仕事にならない
何とか出勤できる日もあります。
パソコンを立ち上げ、仕事を始めようとする。それでも、画面に書かれた文章が頭に入ってきません。同じところを何度も読み、普段なら間違えないような入力を間違える。
人から説明を受けても、返事をしただけで内容が残っていない。
昼休み、一人になれる場所へ移動すると、そこで初めて涙が出てきます。
同僚から「最近、元気がないですね」と言われても、事情を話せない方もいます。
「家族を亡くしたわけではない」
「ペットのことでここまで落ち込むなんて、大げさだと思われるかもしれない」
そう考え、何事もなかったように席へ戻ります。
本人の中では、生活の一部分がなくなっただけではありません。
朝起きる理由、帰宅を待っている存在、休日の過ごし方。毎日を動かしていた細かな仕組みが、一度に消えています。
周囲から見えにくいからといって、小さな喪失とは限りません。
「仕事には行けているから大丈夫」とは限らない
ペットを亡くしたあとも、仕事には行っている。だから、自分はまだ大丈夫だと考える方がいます。
ただ、少し詳しく聞くと、違う様子が見えてくることがあります。
仕事中に集中できない。普段ならしないミスが増えた。人の説明が頭に残らない。夜はほとんど眠れていない。帰宅しても食事や入浴ができず、そのまま床やソファで朝を迎える。
出勤しているという事実だけでは、生活全体の状態まではわかりません。
職場へ行けていることと、実際に働ける状態であることは、同じではないからです。
ペットロスについて考えるとき、「泣いているか」「仕事を休んだか」だけで状態を判断することはできません。
普段できていたことが、どの程度できなくなったのか。
睡眠、食事、身支度、通勤、集中力、判断力。そうした日常の変化を見た方が、本人の置かれている状態はよくわかります。
自分で自分に「ペットくらいで」と言ってしまう
周囲から何か言われたわけではないのに、自分の中で先回りしてしまうことがあります。
「ペットのことで休めない」
「もっと大変な人もいる」
「社会人なのだから、仕事中くらい切り替えなければならない」
こうして、悲しんでいる自分をさらに責めることになります。
亡くなった悲しみがある。仕事ができない焦りもある。そのうえ、こんな状態になっている自分に腹が立つ。
もともと一つだった苦しさが、少しずつ重なっていきます。
ここには、ペットロスが周囲から認められにくいという問題もあります。
人が亡くなった場合には、周囲も喪失を理解しやすく、忌引きなどの仕組みもあります。ところが、ペットが亡くなった場合、その関係の深さは外からはわかりません。
一緒に過ごした年月も、介護に費やした時間も、亡くなったあとの部屋の静けさも、職場の人には見えないのです。
そのため、飼い主自身まで「この程度でつらいと言ってはいけない」と考えてしまいます。
しかし、悲しみの大きさは、周囲から見た関係の名称だけでは決まりません。
その存在が、自分の生活の中でどのような役割を持っていたかによって変わります。
仕事中に突然つらくなる理由
仕事中は、ペットのことを考えないようにしている方もいます。
それでも、思いがけないきっかけで記憶が戻ります。
同僚が飼っている犬の話をした。スマートフォンで写真を探しているとき、以前の写真が表示された。昼休みに、動物病院からのメールが目に入った。
帰宅時刻が近づき、「帰っても、もう待っていない」と思い出すこともあります。
ペットとの生活は、家の中だけにあったわけではありません。
仕事中に留守番の様子を気にしていた。休憩中に見守りカメラを確認していた。残業を減らし、薬の時間に間に合うよう帰っていた。
飼い主の働き方の中にも、その子はいたのです。
そのため、職場に来れば忘れられるとは限りません。仕事の時間の中にも、その子と暮らしていた跡が残っています。
仕事を休むかどうかは、悲しみの資格で決めない
「ペットを亡くしたことで仕事を休んでよいのか」と考える方がいます。
しかし、「ペットを亡くしたことが、休む理由として十分か」と考え始めると、答えは出ません。
見るべきなのは、悲しむ資格の有無ではなく、現在、仕事ができる状態にあるかどうかです。
ほとんど眠れていない。食事が取れていない。通勤途中に強い動悸が出る。文章が読めず、重要な判断ができない。普段ならしないミスが続いている。
このような場合は、原因が何であっても、そのまま働き続けることが本人や周囲にとって安全かを考える必要があります。
反対に、悲しみは強くても、睡眠や食事が保たれ、仕事中は一定の集中ができている場合には、仕事を続けることが生活の支えになる場合もあります。
仕事へ行くことが正解で、休むことが不正解というわけではありません。その反対でもありません。
今の自分にとって、仕事が生活を支えるものになっているのか。それとも、残っている力を使い切るものになっているのか。
そこを見分ける必要があります。
「元に戻る」ことだけを目標にしなくてよい
ペットロスのあと、早く以前の自分に戻らなければならないと考える方がいます。
以前と同じ時刻に起き、同じように出勤し、同じ集中力で働く。それができれば回復したと思えるかもしれません。
けれども、生活の一部を長く共有してきた存在がいなくなった以上、まったく同じ生活へ戻ることはできません。
必要なのは、以前の生活をそのまま再現することではなく、その子がいない生活の中に、新しい朝の流れを作っていくことです。
起きたら窓を開ける。短い時間でも外へ出る。朝食を取る。散歩をしていた時間に、別の場所を歩いてみる。
最初は、そうしたことをする生きている自分にも罪悪感が出るかもしれません。
いつもの散歩道を歩くと、置いていったような気持ちになる。別のことを楽しむと、忘れてしまう自分が冷たいように感じる。
しかし、新しい習慣を作ることは、その子との生活を消すことではありません。
一緒に暮らした時間を持ったまま、現在の生活を組み直していくということです。
職場で事情をどこまで話すか
ペットを亡くしたことを職場へ話すかどうかに、決まった答えはありません。
関係性によっては、そのまま説明した方が理解を得られることもあります。一方、詳しく話したくない場合には、睡眠不足や体調不良により集中力が落ちていることだけを伝える方法もあります。
全員に理解してもらう必要はありません。
また、理解してもらうために、その子がどれほど大切だったかを証明する必要もありません。
必要な範囲で、現在仕事にどのような影響が出ているかを伝える。それで十分な場合もあります。
ペットとの関係は、とても私的なものです。どこまで話すかは、飼い主自身が決めてよいことです。
悲しみを抱えたままでも、生活は作り直せる
ペットロスからの回復というと、泣かなくなることや、思い出してもつらくなくなることを想像するかもしれません。
けれども、実際の変化はもっと小さな形で現れます。
朝、決まった時刻に起きられた。
食事を取って仕事へ行けた。
昼休みに涙が出た。けれど、午後の仕事はできた。
帰宅後、着替えてから眠れた。
ほんの少しの時間、忘れてすごしていた。
悲しみがなくなっていなくても、生活が少しずつ動き始めることがあります。
あの子との時間を大切に残したまま、自分の時間をもう一度作っていく。
それは、忘れさることではありません。
一緒に暮らした時間を自分の中に持ちながら、これからの日常生活を始めるということだと思います。
保谷駅前こころのクリニック
