2025年12月06日
夜中に、また鳴き声がする。
時計を見る。
午前三時四十分。
起き上がり、水を確認する。
体の向きを変える。
汚れたシートを交換する。
それでも鳴き止まない。
思わず、
「もう、いい加減にして」
と言ってしまう。
その瞬間、こちらを見る目と合います。
朝になっても、その言葉が離れない。
大切なのに、疲れている。
そばにいたいのに、一人になりたい。
介護の中では、反対の気持ちが同時に生まれることがあります。
愛情があっても、介護には限界がある
眠れない。
外出できない。
仕事中も急変が気になる。
食事や排泄に一日が左右される。
介護は、愛情だけで疲れなくなるものではありません。
疲労が重なると、声が強くなる。
触れ方が雑になる。
鳴き声に腹が立つ。
その反応に気づき、
「こんな自分に飼われて、この子は不幸だ」
と考えてしまう方がいます。
しかし、疲れた一場面だけで、何年もの世話を否定する必要はありません。
優しくできなかった夜は、愛していなかった夜ではありません。愛情だけでは支えきれないほど、疲れていた夜です。
「早く終わってほしい」と思った自分
苦しそうな姿が続くと、
「もう楽になってほしい」
「この介護が終わってほしい」
と思うことがあります。
亡くなったあと、その言葉だけが残り、
「自分が死を願ったからではないか」
と自分を責めることがあります。
けれど、「苦しみが終わってほしい」と「命がなくなってほしい」は同じではありません。
介護する自分が休みたかった気持ちもあったでしょう。
それを認めることは、愛情の否定ではありません。
人には限界があります。
最後の一言より、繰り返した日々を見る
亡くなる前に強く言ってしまった。
そのあと謝れなかった。
その一場面が、何年もの記憶を覆うことがあります。
しかし、その子が知っていたあなたは、最後に苛立ったあなた一人ではありません。
毎日ごはんを用意した。
汚れを片づけた。
何度も病院へ行った。
眠い夜にも起きた。
そのすべてを、その子は生活として受け取っていました。
完璧に優しい介護など、ほとんどありません。
疲れ、迷い、時には苛立ちながら、それでも翌朝また世話をする。
介護とは、その繰り返しです。
最後に残った罪悪感だけで、最後まで続けた愛情を消さないでください。
