2025年12月13日
「まだ生きているのに、こんなことを考えるのは失礼ですよね」
飼い主さんは、眠っている老犬の写真を見つめます。
「この子がいなくなったら、私はどうなるんだろうって」
「呼吸を見ていると、毎晩怖くなるんです」
ペットロスは、亡くなったあとにだけ始まるとは限りません。
老いや病気によって、できることが少しずつ減っていく。
その変化を見ながら、まだ起きていない別れを悲しむことがあります。
昨日できたことが、今日はできない
段差を上がれなくなった。
散歩の距離が短くなった。
名前を呼んでも、反応まで時間がかかる。
ひとつ変わるたびに、胸が苦しくなる。
「また一つ、以前の姿を失った」
そう感じることがあります。
死別前の悲しみには、はっきりした開始日がありません。
小さな喪失が何度も続きます。
先のことを考えるのは、諦めではない
最期の場所。
治療をどこまで続けるか。
急変時にどうするか。
安楽死を考える状況。
こうした話を考えると、命を諦めたような罪悪感が出ることがあります。
しかし、考えることと望むことは別です。
その子が生きている今を大切にするために、先の選択肢を知っておく。
それも愛情の一つです。
別れを怖がることは、いまを見ていないことではありません。いまが大切だから、終わりが怖いのです。
老いを、若い頃との比較だけで見ない
走れなくなった。
遊ばなくなった。
それでも、飼い主のそばで眠る。
声に目を動かす。
いつもの場所を選ぶ。
若い頃と同じ楽しみ方ではなくても、その子なりの穏やかな時間が残っている場合があります。
できなくなったことだけを数えず、今もできていることを見る。
今日食べた。
今日は眠れた。
今日は名前に反応した。
終わりを考える日にも、今日の生活はあります。
先の悲しみですべてを埋めず、いま一緒に過ごせている時間を、その日の大きさのまま受け取ってよいのです。
