2026年8月27日
「この一週間、いかがでしたか。」
再診の診察室で、私はよくそう尋ねます。
患者さんは少し考えて、
「特に変わりません。」
と答えます。
私は、
「そうですか。」
と返します。
でも、頭の中では、そこで話は終わっていません。
むしろ、
「本当に、何も変わっていないだろうか。」
と考え始めています。
診察時間は数分です。
その数分だけを見ると、
精神科医は患者さんの生活のほんの一部分しか見ていないように思えるかもしれません。
でも、私が知りたいのは、その数分ではありません。
診察室を出てから、
今日またここへ戻ってくるまでの一週間です。
眠れた夜。
会社へ行けた朝。
玄関で立ち止まった朝。
食事を取れた日。
何もしたくなくて横になっていた日。
その一週間を、短い診察の中で少しずつ組み立てていきます。
「変わりません。」
そう言われたときにも、私はいくつか確認します。
「眠る時間はどうでしたか。」
「朝は起きられましたか。」
「仕事には行けましたか。」
すると、
「そういえば、昨日は少し早く眠れました。」
という話が出てくることがあります。
あるいは、
「今週は一度も会社を休みませんでした。」
「久しぶりに友人へ返信しました。」
と続くこともあります。
本人にとっては、
「こんなのは大したことではない。」
と思える変化かもしれません。
でも、私はそうは思いません。
抑うつや不安が強いとき、
人は自分の回復を、
「完全に元どおりになったか。」
という大きな物差しで測りがちです。
眠れるようになったか。
仕事に普通に行けるようになったか。
不安がなくなったか。
その基準で見ると、
まだ十分ではない。
だから、
「変わっていません。」
となります。
でも精神科医は、
もう少し小さな物差しでも見ています。
先週は、朝起きても布団から出られなかった。
今週は、起きてカーテンを開けられた。
先週は、仕事を何日も休んだ。
今週は、休んだ日が減った。
先週は、診察室でほとんど目が合わなかった。
今日は、挨拶のときに少し目が合った。
一つひとつは小さな変化です。
でも、
その小さな変化をつなぎ合わせると、
一週間の形が見えてきます。
診察室では、
患者さんの話を聞きながら、私の頭の中でこんな確認が続いています。
「睡眠は少し戻ってきた。」
「仕事への負担はまだ大きい。」
「不安は残っている。」
「でも、生活範囲は少し広がっている。」
「表情は前回より柔らかい。」
「自分から質問が出るようになった。」
一つひとつは小さな情報です。
でも、
それらをつなぐと、
その人がどんな一週間を過ごしたのかが少しずつ見えてきます。
逆のこともあります。
患者さんは、
「大丈夫です。普通に仕事にも行っています。」
と話している。
でも、
よく聞いてみると、
毎朝かなり無理をして出勤している。
帰宅すると何もできず、そのまま横になる。
休日は一日中休んでいる。
眠りも浅い。
「仕事へ行けている。」
その一つの事実だけを見ると、
生活できているように見えます。
でも、一週間全体を見ると、
かなり無理をしていることがあります。
だから精神科では、
「会社へ行けています。」
「眠れています。」
「大丈夫です。」
という一つの言葉だけで、状態を判断することはありません。
その人が、その一週間をどのように生きていたのか。
そこを見ます。
診察室へ入ってくる姿にも、一週間がにじむことがあります。
前回より歩く速度が少し速い。
椅子へ座る動きが自然になった。
声に少し張りが戻っている。
逆に、
今日は視線が下を向いている。
返事まで少し時間がかかる。
もちろん、
一つの表情や動作だけで結論を出すわけではありません。
大切なのは、
その人自身の前回との違いです。
患者さんが診察室で、
「全然良くなっていません。」
と話していても、
私は、
「本当にそうかな。」
と思うことがあります。
先月は外に出ることさえ難しかった。
今日は自分で電車に乗って診察へ来ている。
先週は何も決められなかった。
今日は、
「来週から少し勤務時間を増やしてみたい。」
と、自分から話している。
症状はまだ残っています。
でも、
回復は始まっていることがあります。
そんなとき私は、
「まだ症状は残っていますけれど、できるようになったことも増えていますね。」
とお伝えすることがあります。
患者さんは、
少し意外そうな顔をします。
自分では、
できていないことばかりを見ていた。
でも、
振り返ると、
以前とは少し違う。
そこで初めて、
「あ、本当ですね。」
と気づくことがあります。
精神科医は、
患者さんより先に回復を見つけることがあります。
それは、
特別な能力があるからではありません。
毎回、
同じ人の変化を比べているからです。
先週。
今週。
一か月前。
初診の日。
その時間を並べると、
本人には見えにくかった変化が見えてくることがあります。
精神科の診察で大切なのは、
「今日どうだったか。」
だけではありません。
昨日まで、どうだったか。
そして、
来週を、どう過ごせそうか。
そこまで考えることです。
治療は、
診察室の中だけで進むものではありません。
薬を飲むのも、
眠るのも、
仕事へ行くのも、
休むのも、
実際に行われるのは、診察室の外です。
診察は、その一週間を振り返り、
次の一週間を少し調整する場所でもあります。
だから、
診察が終わるころ、
私の頭の中では、
もう次の一週間を考えています。
今の薬でよいだろうか。
生活の負荷は高すぎないだろうか。
今は休む時期だろうか。
少し動いてみる時期だろうか。
次回までに何を見ておくとよいだろうか。
患者さんには見えません。
でも、
短い診察の中で、
私はその人の一週間を頭の中に広げています。
私が実際に見られるのは、
ほんの数分です。
だからこそ、その数分から一週間を組み立てます。
WEB問診の情報。
患者さんの言葉。
表情。
睡眠。
仕事。
生活。
前回からの変化。
限られた情報をつなぎ合わせながら、
その人がどんな一週間を過ごしたのかを理解しようとします。
診察は5分。
でも、
私が診ているのは、その人の一週間です。
このコラムを読んでいるあなたも、
もし、
「全然良くなっていない。」
と思う日があったら、
少しだけ物差しを小さくしてみてください。
一か月前にはできなかったけれど、
今はできていることはないでしょうか。
少し眠れた夜。
外へ出られた朝。
誰かに返信できた日。
「大したことではない。」
と思うかもしれません。
でも、
回復は、
いつも大きな音を立てて始まるわけではありません。
気づかないくらい小さな変化から始まることがあります。
保谷駅前こころのクリニック
診察室でお会いする時間は限られています。
しかし、私たちが考えているのは、その診察時間だけではありません。
その人がこの一週間をどう過ごし、
何が少しできるようになり、
どこでまだ困っているのか。
そして、
次の一週間をどう過ごすのがよいのか。
当院では、事前のWEB問診と診察で得られる情報を組み合わせながら、限られた診療時間の中で現在の状態を整理し、医学的に現実的な治療を考えていきます。
限られた診療枠の制約上、すべてのご相談をお受けできるわけではありません。
それでも、当院の診療体制に合う方については、
診察室の数分だけを見るのではなく、
その人の一週間を見る。
それを大切にしています。
来週、
今日より少しだけ過ごしやすくなるために。
また次の診察で、
その一週間を一緒に振り返ります。
保谷駅前こころのクリニック
