「治療をやめたせいで、亡くなったのではないか」――ペットロスで緩和ケア・在宅看取りを後悔している方へ|保谷駅前こころのクリニック|西東京市「保谷駅」北口すぐの心療内科

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「治療をやめたせいで、亡くなったのではないか」――ペットロスで緩和ケア・在宅看取りを後悔している方へ

「治療をやめたせいで、亡くなったのではないか」――ペットロスで緩和ケア・在宅看取りを後悔している方へ|保谷駅前こころのクリニック|西東京市「保谷駅」北口すぐの心療内科

2026年8月15日

「最後の点滴を断ったんです」

診察室で、その方は膝の上に置いた手を見つめています。

「先生からは、また連れてきてもいいと言われていました。でも、もう車に乗せるだけでも苦しそうで」

言葉が止まります。

「家でゆっくりさせようと思いました」

少し間を置いて、続けます。

「その2日後に亡くなりました」

そして、ようやく顔を上げます。

「あのとき点滴をしていたら、まだ生きていたんでしょうか」

治療を続けたことに後悔する人がいます。

その一方で、治療をやめたこと、減らしたことに苦しむ人もいます。

抗がん剤をやめた。
点滴の回数を減らした。
検査を受けなかった。
入院させず、家へ連れて帰った。
積極的な治療から、緩和ケアへ切り替えた。

そのときは、あの子の負担を減らしたかったはずです。

それでも亡くなったあとには、

「自分が諦めたから、あの子は亡くなった」

という思いに変わることがあります。

治療をやめた日、世話までやめたわけではない

積極的な治療をやめるとき、多くの人が罪悪感を抱きます。

治療を続けることは「助けること」。
治療をやめることは「見捨てること」。

心の中で、そのように結びついてしまうからです。

けれど、治療をやめることと、あの子を見放すことは同じではありません。

通院を減らしても、食べられるものを探していた。
点滴をやめても、何度も水を口元へ運んでいた。
検査を受けなくても、呼吸や表情を見続けていた。
入院させなくても、夜通しそばにいた。

治療をやめた日、あなたはあの子の世話までやめたわけではありません。

医療処置を減らしたあとも、あなたの一日は、あの子を中心に動いていたはずです。

緩和ケアは「何もしないこと」ではない

「緩和ケアを選んだのは、諦めたということですよね」

そう尋ねる方がいます。

けれど、緩和ケアは、単に治療を放棄することではありません。

痛みを和らげる。
吐き気を抑える。
呼吸の苦しさを減らす。
食べられるものを探す。
眠れる環境を整える。
通院や処置による負担を減らす。

病気そのものを治すことが難しくなったあとも、あの子がどう過ごすかを考え続ける。

それも医療です。

積極的な治療では、病気へ向かっていきます。
緩和ケアでは、あの子の苦痛と暮らしへ目を向けます。

目標が変わったのであって、大切にすることをやめたわけではありません。

「もっと治療を続ければよかった」という未来

亡くなったあと、心の中には別の未来が作られます。

点滴を続けていたら、食べられたかもしれない。
抗がん剤をやめなければ、腫瘍が小さくなったかもしれない。
入院させていたら、急変に対応してもらえたかもしれない。
もう一度検査をしていれば、新しい治療が見つかったかもしれない。

その未来の中では、治療はうまくいきます。

副作用は起こらない。
通院で体力を消耗しない。
入院中に不安にならない。
検査で苦しい思いをしない。

選ばなかった未来には、失敗した場面が存在しません。

だから、現実に選んだ在宅看取りや緩和ケアは、どうしても見劣りします。

けれど、実際には、治療を続けても効果が得られなかった可能性があります。通院や入院によって、家で過ごせる時間が減った可能性もあります。

反対に、治療を続ければ、もう少し時間を得られた可能性もあります。

どちらも、今から確かめることはできません。

答えのない「もしも」を考え続けるほど、心は現実の自分だけを責めるようになります。

家で看取ると決めたことが正しかったのか

在宅看取りを選んだ人には、家の中に最期の記憶が残ります。

いつものベッド。
敷いたままのタオル。
飲めなかった水。
使い切らなかった薬。
最期に横たわっていた場所。

慣れた家で過ごさせたいと思って選んだはずなのに、亡くなったあとには、

「病院へ連れて行けば助かったのではないか」

という思いが出てきます。

家には、病院のような検査機器も酸素室もありません。急変したとき、目の前で何が起きているのかわからない怖さもあります。

そのため、最期の呼吸や表情が、

「必要な治療を受けさせなかった証拠」

のように見えてしまうことがあります。

けれど、在宅看取りを選んだとき、あなたが見ていたものもありました。

車に乗せたときの負担。
待合室で震えていた姿。
通院後の疲れ。
入院による不安。
家の中で見せる、少し落ち着いた表情。

病院へ行かないことだけを考えていたのではありません。

あの子がどこで、どのように過ごすかを考えていたのです。

「自分が疲れていたから、やめたのではないか」

介護が続けば、人は疲れます。

夜中に何度も起きる。
食事を工夫する。
薬の時間を管理する。
仕事を調整して通院する。
少しの呼吸の変化にも目を覚ます。

費用について考えることもあります。
仕事との両立が難しくなることもあります。
家族の意見が割れることもあります。

そして一度くらいは、

「もう限界かもしれない」

と思うことがあります。

亡くなったあと、その一瞬だけが、頭の中で拡大されます。

「私は疲れていた」
「だから治療をやめた」
「私が楽になりたかったから、あの子の命を諦めた」

けれど、疲れていたことと、愛情がなかったことは同じではありません。

疲れるほど世話をしていた。
眠れなくなるほど見守っていた。
限界を感じるところまで、あの子の生活を支えていた。

あなたの疲れは、見捨てた証拠ではありません。

それまで長く背負ってきたものの重さが、身体に現れていただけかもしれません。

介護に疲れた自分を思い出すとき、疲れるまで続けていた自分のことも、同時に思い出してください。

費用や生活を考えた自分が許せない

「お金のことを考えてしまいました」

申し訳なさそうに、そう話す方もいます。

治療費。
通院の交通費。
仕事を休むこと。
家族の生活。
ほかに守らなければならないもの。

現実の治療では、こうした事情を完全に切り離すことはできません。

しかし、亡くなったあとには、費用を考えたこと自体が、愛情の不足のように感じられます。

「お金より命を優先すべきだった」
「もっと払えば助かったかもしれない」
「自分はあの子の命に値段をつけた」

けれど、治療は、無限の時間と費用の中で行われるものではありません。

誰もが、自分の暮らしの中で判断しています。

費用や仕事について考えたからといって、あの子を大切にしていなかったことにはなりません。

むしろ現実を抱えたまま、どこまでできるかを必死に考えていたということです。

「何もしなかった」という記憶に変わってしまう

治療をやめた人は、亡くなったあと、自分がしていたことを忘れてしまうことがあります。

治療をやめた。
検査を受けなかった。
入院させなかった。
病院へ連れて行かなかった。

「しなかったこと」ばかりが残ります。

けれど、その時間に、本当に何もしていなかったのでしょうか。

体の向きを変えた。
汚れた身体を拭いた。
食べられそうなものを少しずつ差し出した。
水を口元へ運んだ。
苦しくない姿勢を探した。
名前を呼んだ。
手を置いた。
そばにいた。

それらは、病気を治す処置ではありません。

けれど、最期まであの子の暮らしを支える行為です。

治せなくなったあとにも、してあげられることは残っています。あなたは、その時間を生きていました。

治療をやめたことと、命をやめさせたことは同じではない

病気が進行していた。
体力が落ちていた。
治療への反応が弱くなっていた。
できる治療が限られていた。

その中で、治療を減らす判断が行われます。

けれど、亡くなったあとには、病気の進行が見えなくなり、

「私が治療をやめたから亡くなった」

という一本の因果関係だけが残ることがあります。

治療をやめた時期と亡くなった時期が近いほど、その思いは強くなります。

しかし、治療をやめたことと、命をやめさせたことは同じではありません。

あの子の身体では、その前から病気が進んでいました。

治療をやめる判断は、病気を作った判断ではありません。

その時点で起きていたことを前にして、残された時間をどう過ごすかを考えた判断です。

最期まで「治すこと」だけが愛情ではない

元気な頃は、治療することが愛情に見えます。

薬を飲ませる。
検査を受ける。
手術をする。
病院へ連れて行く。

けれど、最期が近づくと、愛情の形は変わることがあります。

病院へ連れて行かず、眠らせる。
食べられないものを無理に食べさせない。
薬を減らす。
家族の声が聞こえる場所で過ごさせる。
苦しさを減らしながら、そばにいる。

何かを「する」ことだけが愛情ではありません。

もう負担を増やさないと決めることにも、愛情が必要です。

治療を続けない判断は、諦めに見えるかもしれません。

しかし実際には、治すことだけを考えていた目を、あの子が今どう感じているかへ向け直す判断だったのかもしれません。

あの日の選択だけで、あなたとあの子の関係を決めない

治療をやめたことへの後悔は、簡単にはなくならないでしょう。

「もう一度だけ点滴をしていれば」
「入院させていれば」
「緩和ケアに切り替えなければ」

そう思う夜もあるかもしれません。

けれど、あの日の選択だけで、あなたとあの子が過ごしたすべてを決めないでください。

治療をやめたあとも、あなたはあの子を見ていました。

呼吸を確認した。
水を運んだ。
身体に触れた。
名前を呼んだ。
そばにいた。

あなたがやめたのは、すべてではありません。

治療の一部をやめたあとも、あの子を大切にすることは、最期までやめなかった。

時間を戻して、別の選択を試すことはできません。

だから、「続けていれば助かった」という未来も、「やめて正解だった」という結論も、完全には証明できません。

それでも、ひとつだけ消さないでほしいことがあります。

あなたは、早く別れたくて治療をやめたのではありません。

もう十分に頑張っていたあの子を見ながら、残された時間の中で、何を減らし、何を最後まで残すかを考えていたのです。

そして最後まで残したものは、治療ではなかったかもしれません。

声。
手のぬくもり。
いつもの家。
そばにいる時間。

それもまた、最期まで続けた、あなたの世話だったのです。

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